Kabamur 〜 イエスの教え

April 27, 2023

Pleiadian Collective (プレアディアン・コレクティブ) 【 Kabamur 〜 イエスの教え 】

「イエスに従う」とは、スローガンを繰り返したり、死んだ言語から誤って翻訳されたいくつかの詩を暗唱したりせず、または愛する神が血を必要としていたと信じることでもなく、彼が地球で何年にも亘(わた)って教えたことに従うことを意味します。

イエスは、「私達の罪の為に、死ぬ為に来た」と、人々に言いながら旅をしませんでした。
彼は、愛と許しを教えました。

彼は、上昇する唯一の方法は、彼の教えに従うことだと教えました。
彼は、自分が崇拝すべき神であると人々に言いませんでしたし、宗教を作りませんでした。

人々がアヌンナキを神として崇拝していた時代に、彼は神は内にあると言いました。
彼は、私達は皆神の息子であり娘である為、より大きな奇跡を起こすことができると言いました。
道徳は問題ではないと言う自分達を、キリスト教徒と呼ぶ捻(ねじ)れた個人が居ますが、シフトが起こると、彼らはショックを受けるでしょう。

教会の教義は、イエスの殺害を祝う血の儀式は「イエスに従う」ことを意味するという信念をプログラムしています。
血の犠牲による償還は、古代の異教です。
イエスはそれを実践したり、教えたりしませんでした。

神は決して、血を必要としませんでした。
悪霊は神のふりをして、人間を欺(だま)しました。
犠牲の血は、貴方を救わないのです。

自分の考えと行動で自分を救えるのは、自分だけです : 客観的な道徳、愛、許し、正直、誠実、真実など。

イエスは、神はただの愛であると教えました。
従って、神は殺人による血を必要とせず、魂を地獄で永遠に罰することもありません。

シフトが起こる時、悪の結果はこのタイムラインに取り残されてゆきます。
宗教のない善良な人々が、昇ります。
血の魔法が自分を救うと信じている悪しき人々は、そうではないかも知れません。

誰もが、道徳的自由意志を持っています。
誰もが、選択肢を持っています。

カバムール



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