終わりの時

Posted on 10月 8, 2021 in サナンダ by admin

October 7, 2021

光の銀河連合(GFL)ロード・サナンダ・クマラからのメッセージ 【 終わりの時 】

親愛なる、地球の息子と娘の皆さん。
私は、サナンダです。
今回も大きな喜びをもって、ここで皆さん一人一人にご挨拶させていただきます。

時代は、スピードアップしています。
貴方方の世界では、様々なこと、これまでに見たことのないことが起こっています。

これを、「時代の終わり」と解釈しないで下さい。
ある人は、それこそが「時代の終わり」であると信じさせているかも知れません。

何事にも終わりはなく、全てが変化しているのです。
長い間、貴方の惑星の状況は変化して来ました。

良い意味でも悪い意味でも、何と言えばいいのでしょうか?

進化という点では、知恵や技術という点では、貴方方の惑星は進化し、人間の心は文明を進化させることができたと言えるでしょう。
一方で、愛は消され、貴方方は個人主義、利己主義になりました。

では、この2点のうち、どちらが良いか悪いか。
全ては、其々(それぞれ)の人が、自分の人生の為に作った理解と概念によります。

多くの人は他人のことを気にせず、快適に暮らし、たくさんの食べ物を手に入れることが素晴らしいことであり、深く求めている純粋な幸せであると考えています。
多くの人にとって、食べるものがなく、正直で快適な生活を送る場所がないことは、最悪の事態であり、完全な恥辱であす。

誰が正しく、誰が間違っているのか。
それは、其々(それぞれ)の人のビジョンによるでしょう。

だから私は、貴方に「終末期……」と言うのです。
いいですか、「終末期」の考え方を少し広げてみましょう。

もし、ここで、不幸の終わり、飢えの終わり、不平等の終わりについて話しているのであれば、私はこう言えるでしょう。
そう、私達はそのような時代の終わりにいるのです。
また、極端な豊かさ、利己主義、自分のことしか考えないことの終わりでもあり、このような時代の終わりの話でもあります。

終わりはありません。
常に変化があり、多くの人がそれを悪い方向に捉えるでしょうし、多くの人がそれを良い方向に捉えるでしょう。

今日、不幸や貧困の中で暮らしている人達は、食べるものを手に入れることができ、彼らにとってはより良いものになるでしょう。
今日、豊かな生活を送っている人達は、自分の家の外で飢えている人間のことなど気にも留めず、恐らく彼らの見方では生活は悪くなるでしょう。

誰が正しく、誰が間違っているのか。
だから、「終わりの時」、私はこの表現を「時代の変革」と言い換えたいと思いますが、皆さん一人一人が新しい生き方を学ばなければなりません。

誰もが、いや、誰もが、内面の変化なしに、この新しい変革の時代を乗り越えることはできません。
誰もが、変化する必要があります。
誰もが、新しい考え方や生き方を学ばなければなりません。

全てを素直に受け入れ、全てに100%同意する人間はこの地球上には存在しません。
しかし、時間が経つに連れて、全てがうまくいくようになり、この新しい方法で生きることを学ぶのはとても簡単でとてもシンプルなことだと、皆さん一人一人に保証できます。

私は、皆さんに質問します。
貴方の世界の最大の不均衡は、どこから来ているのでしょうか?

それはまさに、地球上のあらゆる場所に存在する社会的不平等です。
住むところがなくて路上に放り出され、一切れのパンを乞う人々や、周りのことを気にせず豪華な車を乗り回す人々を目にします。
この不平等が、今の貴方の世界に存在するアンバランスを生み出したのです。

何故、できる人とできない人がいるのか。
何故、ある人は快適で豊かなヘソクリのある生活をしていて、ある人は何もないのか?

これが、貴方の世界で生み出されたものです。

経済的に恵まれた環境に居る人は、いつも何も持っていない人を踏み躙(にじ)って来ました。
皆が皆、そうではないと答えて来ないで下さい。
何故なら、この惑星の偉大な財産は、多くの財を持っていると思っていても、この惑星を支配している人達との関係において、将来的にはほとんど何も持っていないことが分かる人達とは比較にならないからです。

この大きな不平等が、皆さんが日々生きている暴力、不幸、不運を生み出しているのです。
何故なら、上に居る人達は、富を持ち、事実上、自分達が持っている全てのものを乱交で燃やし、完全に卑劣な行為をしていますが、下にいる人達のことは気にしていないからです。

だから私は、貴方に尋ねます。

この惑星のどこに、平等性があるのでしょうか?
この地球上のどこに、平等があるのでしょうか?

だからこそ、貴方が正しいと思っていることや間違っていると思っていることについて、考え方を変えてみて下さい。
正しいことも間違っていることもなく、其々(それぞれ)の人の考え方、其々(それぞれ)の視点があるのです。

「終末の時」とは、これらの存在がこの惑星に課したこの冷酷な主権の終わりです。
国を貧しくし、支配者を益々富ませ、他の国は国民を養う為に何をすべきか分からない。

これには、終わりがあります。
貴方はそれを、”時代の終わり”と呼びたいのでしょうが、それならば”暴政の終わり”、つまり、この惑星に植えつけられた馬鹿げた邪悪な主権の”時代の終わり”としましょう。

全員を、同じ土俵に上げようとは思いません。
其々(それぞれ)が、自分の行動の結果を刈り取るのです。

貧しくても、自分より少しでも多くのものを持っているという理由で、他の人間を殺したり、強姦したり、暴行したりして、自分の貧しさを正当化しているその市民が、毎日、生き延びようとしているその貧しい人と同じ尺度に置かれるということはありません。
これは、私達のセンスが全くないことです。

一人一人が、自分に相応(ふさわ)しい場所に置かれるのです。
財産を持っていても、傲慢(ごうまん)ではなく、利己的でもなく、多くの人を助けている人はたくさんいますからね。
富める者も貧しい者も、其々(それぞれ)の行動によって分析されるのです。

では、これは”終わりの時”なのでしょうか?
そうですね、「終わりの時」であることには同意しますが、それは不平等や支配、飢えや悲惨さの時代の終わりです。
それ以降は、バランスの取れた世界で生きることを学ばなければなりません。

誰も、誰かを辱めることのない世界、誰もが一皿の食べ物を請う必要のない世界、人種、肌の色、信念の区別なく、誰もが全ての権利を持つことになるからです。
人種や肌の色、信条の区別なく、全ての人が全ての権利を持つようになるからです。

この時が来れば、信条はもはや存在しません。
宗教の信念は十分に揺さぶられ、多くの人がまだ宗教との繋がりを保っていることでしょう。
しかし、それは選択でもあります。

そうすれば、誰もが、自分の行動に応じて、自分の心に応じて、自分の分け前を得ることができます。
そこには裁きはなく、ただバランスがあります。

貴方がしたポジティブなことは全て一方に、貴方がしたネガティブなことは全て他方に置かれます。
そして、このバランスの結果、貴方が持つべきものが与えられます。
しかし、全てのものには心の重さという余分な重さがあります。

ですから、もし、貴方が今日ここで「お人好しになろう」と決めて、道端で寄付をして、親切の天秤(てんびん)が一杯になるようにしたとしても、それは無駄なことです。
何故なら、全ては、心と一緒に計量されるからです。

それ以外のものは、たとえ、それが善行であったとしても、相手のことではなく自分のことを考えて行ったことなので、相手のことを考えずに行ってしまいます。
だから、自分の行動には気をつけましょう。

何かを征服する為に、今直ぐに鞍替えするのは止(や)めましょう。
終わったことは終わったのです、兄弟達よ。

私が言いたいのは、天秤(てんびん)は既に計られていて、其々(それぞれ)に結果が出るということです。
泣いてもしょうがない、悔やんでもしょうがない、終わったことは終わったのだから。

そして、この時代の終わりと共に、新たな道を歩み始めるのです。
その時、そう、貴方の道には新たな尺度が置かれることになると言えます。
そして、教訓を得る度に、貴方は其々(それぞれ)の行動をどちら側に置くべきかを、正確に知ることになります。

ここではっきりさせておきたいのは、私達には何の判断もなく、兄弟間での違いもないということです。
行動は行動。
心からの行動は優しさであり、それと異なるものはスケールの反対側になります。

それは判断ではなく、ただの結果、帰結なのです。
ですから、本当の意味での”終わりの時”の準備をして下さい。
バランスを崩した不幸な時代の、終わりです。

考えてみて下さい。

貴方は、この別の世界で生きる準備ができていますか?
内面を変えて、世界を別の方法で見る準備ができていますか?

私は、そう願っています。

さて、秤(はかり)を偽造したり、誤魔化(ごまか)したりしてはいけません。
何故なら、秤(はかり)は神の意識でできているからです。

そして、その上の全てのプレートは、貴方の行動の結果をどのように量(はか)るかを正確に知っています。



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