判断を手放す
September 23, 2021
セント・ジャーメインからのメッセージ 【 判断を手放す 】
私はセント・ジャーメイン、お帰りなさい。
今回は、判断を手放すことについて、お話したいと思います。
貴方方は、自分自身を裁き、自分が悪いことをしたと思っていることを、聖書ほどの長さで書き連ねていますね。
しかし、そうではありません。
今日の午後、私がここに来たのは、貴方を揶揄(からか)う為です。
貴方が妹の髪を引っ張ったとか、母親に嘘をついたとか、浮気をしたとか、そういう自分自身に対する判断から、貴方を愉快にする為です。
自分で自分を判断することは、滑稽(こっけい)なことです。
自分を裁くということは、自分の能力を過小評価することになります。
小学校3年生の時に弟を殴ったことや、好きでもない男の子にキスをしたこと、彼か玉ねぎのような匂いがするとしか思えなかったことなどです。
これらは、悲しむべき罪です、友よ。
これは、貴方が自分自身を不法行為と判断し、そのユーモアを見ていることの本質です。
自分を裁いてはいけません。
自分の判断で考えられることで、私達が気づいていないこと、完全に覆(くつがえ)してしまうことはありません。
どうやって判断を手放すかというと、許すことにあります。
それを包装して、ゴミに捨てることです。
それは、ゴミ箱に入れることです。
それは、母に与えることです。
貴方は私に、それを与えることができます。
私達は座ってワインを飲み、奇跡を起こして来ました。
そして、私達は、宇宙の破壊と、宇宙や惑星が上昇することの素晴らしさを共に目撃して来ました。
私達は一緒にやって来たのです。
友よ。
破壊を目の当たりにした時、私達は悲しかったでしょうか?
目撃者として、そこに座っていた時?
そうです。
しかし、私達は裁くことはできませんでした。
それは単に破壊的なエネルギーを増やし、苦しみを長引かせるだけだと知っていたからです。
その代わりに、私達はお互いを抱きしめ、約束を果たし、再びこの惑星を癒す為に、時が来たらまた会おうと誓い合ったのです。
貴方方の文化にある「最高の時と最悪の時」という言葉は、今の時代にも当て嵌(はま)ります。
何故なら、これまでの全ての進化、全ての判断が崩壊しているからです。
ですから、手放して下さい。
これらの判断を、手放して下さい。
自分に何ができるか、何ができないかという制限の考えを捨てて下さい。
もし、貴方がそのような酷(ひど)い罪人になれるなら、貴方は素晴らしい聖人になれるはずです。
それは、同じ脳波なのです。
だから、私の友人達は笑って、自分がやったこと、やらなかったことを見て下さい。
そして、目の前に大きく開かれたチャンスを見て、祝福しましょう。
今は、再会の時です。
私達が、一つになって戻って来る時なのです。
私は、このことを喜んでいます。
私と一緒に。
さようなら。
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