普通であることは、皆んなと同じではないこと
February 14, 2024
バイタル・フロシからのメッセージ 【 普通であることは、皆んなと同じではないこと 】
最愛の人。
恐らく、人生最大の失望の一つは、まさにこの個人的な行動にあるのでしょう。
社会そのものが、先ず目立つ個人を映し出すことで発展して来たのです。
もちろん、人類の為に良い実を結ぶ良い模範や行動は、個人的な成長の基礎となるはずです。
学びは、いつでも、どんな形でも、誰にでも訪れます。
特に、進化したいという願望は、全ての人間に生まれつき備わっているものです。
誰もが永遠の魂であり、人間の意識の中で生命と共同創造を経験しています。
誰もが、現在の人生以前に、何百もの肉体を持った人生を持っています。
そして、そのどれもが、魂は異なる性格を身に纏(まと)っています。
地球の人口が増えるに連れて、共に生きることがより明確になりました。
集団的な共存は、より親密になり、より迅速に情報を交換する機会を齎(もたら)しました。
自分達が試練と償いの世界に転生した魂であることを理解している人にとっては、進歩が物質的なものではなく道徳的なものであることも理解し易くなります。
倫理は、ほとんど法のない世界における最大の法でしょう。
そして、魂の意識としての進化の基本原則は、無条件の愛、思いやり、尊敬に基づく二人三脚でしょう。
地球の人口が増えれば増えるほど、空間が狭くなるに連れて、人々の距離は縮まります。
人が密集すればするほど、倫理的・道徳的な法則を実践する機会が増えます。
これは、「試練と償い」として知られる、この小学校の長いサイクルの最終段階です。
この「試練と償い」の状態での最後の転生において、転生した魂は新たな進化の段階へアセンションするか、正と負の極性の中で再びこのサイクルを繰り返すかを選択する機会があるということを、ここでもう一度繰り返すつもりはありません。
それでは、今日のトピックに集中しましょう。
普通であることとは?
私達が犯しかねない最大の過ちは、「普通であること」とは「皆んなと同じであること」だと考えることです。
他人と同じになるよう、努力しなければならないと。
部族に属するものとして、受け入れられる必要があると。
そうでなければ、私達は排除されるのだと。
これが、大きな間違いです。
もし、私達が永遠の魂であり、現在、この肉体に転生しており、其々(それぞれ)に何百、或いは千を超える過去の転生があり、魂が実際には転生に次ぐ転生で進化する意識であるなら、どうして2つの等しい意識があり得るでしょうか?
人々が同じように行動し、行動し、理解すると期待できるでしょうか?
地球は創造主の経験であり、ここを通過した其々(それぞれ)の魂が身に着けた個々の学習は、実は全て独自の知識であり、其々(それぞれ)が自分の物語を書いていることを理解すれば、其々(それぞれ)が自分のキャラクターを生きるのが普通であることも理解できるでしょう。
演劇では、其々(それぞれ)の役者が自分の役を演じます。
それが、演劇の素晴らしさです。
もし、上演中にある役者が他の役者と同じシーンを真似したり演じたりしたらと、想像できますか?
それは滑稽(こっけい)でも悲劇でもあるでしょうが、傑作芸術にはならないでしょう。
地球上では、2つの意識が全く同じになることはあり得ません。
セントラル・サン図書館には、複製を入れる余地はありません。
貴方のストーリーは前例のないユニークなものであり、他の意識によって将来付け加えられることはありません。
貴方方は、コピーする為にこの学校に居るのではありません。
共同創造の為に、ここに居るのです。
貴方のたった一つの、本当の人生の本を創る為に。
無限の宇宙で、永遠に読み継がれる本を。
ですから、普通であるということは、他の誰かと同じであることでも、同等であることでもありません。
普通であるということは、自分自身であるということです。
他人と違っていても、本当の自分であること。
普通であるということは、誰かの何かをコピーすることなく、自分自身の物語を書くことです。
普通であることとは、あらゆるものの一部でありながら、本当に自分自身の良心であることです。
普通であることは、自分自身であることです。
誰も、貴方の物語を書くことはできないのですから。
それは、貴方のトレードマークです。
それが、貴方自身の良心なのです!
私はバイタル・フロシ、私の使命は啓蒙です。
ナマステ!
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