瞑想者の資質瞑想は完全に現在に存在する芸術である
December 24, 2022
オーロラ・レイからのメッセージ 【 瞑想者の資質瞑想は完全に現在に存在する芸術である 】
仏教では、瞑想は最高の幸福と最高の悟りを得る為の修行です。
より高い意識や知恵を得る為に、心を訓練する方法です。
自分にとって良いことをしようと思えばそれなりの努力をしなければなりませんが、欲望や憧れがなければ努力も必要ありませんから、瞑想は楽であり、同時に努力も必要なのです。
瞑想者は、「この世の全ては、私という存在から生まれ、毎日毎晩の生活のあらゆる瞬間も私と同じことをしている。」ということを知っているので、生活において全く恐怖を感じることがありません。
彼らは、何も心配しません。
何の問題も、ありません。
彼らは、自分の心や存在のどの部分にも痛みを感じません。
何故なら、彼らは自分が喜びと至福に満ちていることを知っており、全く疑いを持たないからです。
彼らは、本当の自由がどういうものかを知っているのです。
このような自由は、瞑想以外の手段では得られません。
何故なら、瞑想によってのみ、自分がどう思うか、他人がどう思うか、社会が善良な市民や紳士として期待するかではなく、本当の自分の姿を理解することができるからです。
瞑想で最も大切なことは、座って行うことではなく正しい態度を取ることです。
瞑想の等身大の姿勢とは、自分の個人的な視点や評価を抜きにして、物事をありのままに見ることができることです。
ある花をある方法で見た時、それはただの花です。
別の見方をすれば、それは別のものです。
しかし、どのように見てもそれはただの花であり、それ以上でも以下でもありません。
つまり、瞑想的な平衡状態にある時、貴方は全てのものをありのままに見ることができるのです。
瞑想的な人は、まるで子供のような考え方をしています。
ただ物事の流れに身を任せ、自分の心の欲求に従うのです。
ただ周りの世界と調和して生き、愚かなことを言ったり、醜いことをしたり、自分の為に何らかの妨害をすることによって、他の誰かの心の平和や幸福を邪魔しないようにしようとします。
彼らは、自分自身の反応や他人の反応を、冷静に観察する能力を持っています。
他人の反応も含めて、何事にも執着しません。
自信や威厳を失うことなく、言葉や態度に優しさを持つことができる。他人から批判されることを恐れず、自分自身や自分の欠点に対してユーモアのセンスを持ち、日々とても生き易い人達です。
また、瞑想は人生の目的、つまり、生きている理由、価値あることに取り組む理由を与えてくれます。
これは仕事や活動に退屈したり、落ち着きがなくなったりするのを防ぐのに役立ちます。
瞑想はストレスやプレッシャーに曝(さら)された時、よりリラックスして落ち着けるようになる為、最高の自分になるのに役立ちます。
また、人から批判されたり、貶(おとし)められたりするような状況でも、自分を上手に扱う方法を教えてくれます。
貴方は、それが貴方の冷静さを保つだけでなく、他の人が言っているか、またはやっている上に貴方がどのように動揺している見ることができないように、貴方の冷静さを維持することが如何に重要であるかを知っているので、貴方に取得させることはできません。
そうすると相手は、貴方に勝ったという印象を持ち、自分のやりたいことを手に入れる為に、何をやっても、何を言っても、自分の思い通りになってしまうのです。
イベント本当に瞑想的な人は、将来や過去について心配しません。
本当に瞑想的な人は、他の人を判断しません。
彼らは他の人に思いやりを感じ、彼らが助けや指導を必要としている人を見れば、どのような方法でも彼らを助けようとします。
本当に瞑想的な人は、執着がありません。
自分の人生に入って来る人、場所、物など、外部のものに執着しません。
これは瞑想をしている人に、大切な友人や家族が居ないということではありません。
瞑想をしている人は他の人と親密な関係を保つことは可能ですが、意識だけが現実で、他のものは全て一時的なものだと知っているのです。
瞑想する時間を見つけるのは難しいかも知れませんが、瞑想すれば、それが貴方のマインドフルネス実践の一部になります。
1日5分でも10分でも、ほんの少し瞑想の時間を作ることを約束すれば、その違いを感じられるはずです。
私達は、貴方を心から愛しています。
私達は、貴方と一緒にここに居ます。
私達は、貴方の光の家族です。
私達は、銀河連邦です。
エイ・ホー (A’ HO)
全ての人に神聖な祝福を。
オーロラ・レイ銀河連邦大使
Topに戻る
Comments on '瞑想者の資質瞑想は完全に現在に存在する芸術である' (0)
コメントフィード
Comments are closed.