野生の心を飼いならす

Posted on 8月 19, 2022 in オーロラ・レイ銀河連邦大使 by admin

August 17, 2022

オーロラ・レイ銀河連邦大使からのメッセージ 【 野生の心を飼いならす 】

心を見るには、2つの方法があります。
1つは物、ツール、オブジェクトとして見ることであり、もう1つはプロセス、エネルギーの動きとして見ることです。

最初の方法で貴方の心を理解しようとすると、自己の感覚を強化する傾向がありますが、2番目の方法で貴方の心を理解しようとすると、自己の感覚を解消する傾向があります。
心を物体として見ることの問題点は、心がある方法で誤った振る舞いをした場合、自分は間違っている、壊れている、欠陥があると考え始めるかも知れないことです。

自分が怒るのを止められないから、或いは他人について不親切な考えを持つのを止められないから、自分には何か問題があるのだと考えるかも知れません。
これは、自分ではどうしようもない問題に対して自分を責めることに繋がるので、残念なことです。
また、精神的な問題を生物学的なものでなく、道徳的な欠陥として捉えることにも繋がります。

自分の心を、自分の中を流れるエネルギーのプロセスや動きとして見るようにすれば、このような負担を全て取り除くことができます。
心を観察するようになると、心の中には奇妙で矛盾した思考がたくさん流れていることに気づくでしょう。

自分の条件、他人の影響、生い立ちや文化から来る思考。
多くの思考は、本当の貴方ではないのです。
客観的な観察者であることを学ぶことで、自分の心を鍛えましょう。

思考が浮かんだら、「ああ、またあの思考が浮かんだ。よし、じゃあ今度はそれを観察してみよう。それはどこから来たのか?今、他に何が起こっているのだろう?この考えを持っている時、私の体はどのように感じているのだろうか?」
そして、心の公平な観察者になることを学べば思考に捕われることなく、また思考が本当に自分であると信じることなく、思考が行ったり来たりするのを観察することができます。

他人が変なことを考えているのを部外者が見るように、その考えを見ることができます。
そうすることで自分の考えに対して反応したり、条件づけられたりすることから、とても自由になります。
貴方の心が言うことを全て信じるのではなく、ただ観察して疑問を持つのです。

この考えは、誰が考えているのか?
この考えは、自分にとって正しいのか?
この思考は、どこから来たのか?

川の畔(ほとり)に座って水の流れを見るのと同じくらい簡単なことで、貴方の心の中を流れる思考の流れを観察することができるのです。
或いは、誰かが森の中に座って空を飛ぶ鳥を観察している間、ただ座って観察してみましょう。

自分の思考に同調して、何が見つかるか見てみましょう。
その仕組みに、驚くかも知れません。

貴方は何かについて考える時、自動的にそれを信じますか?

貴方の心を通過する思考は、貴方の意識に由来するものです。
それは貴方ではなく、単なる思考であり、貴方に起こることです。
ですから、思考が頭の中に入って来た時にそれに気づき、それが何であるか自問することから始めて下さい。

例えば、貴方がお茶を入れる為にこの椅子から立ち上がろうと考えているとしたら、一体何が起こるのでしょうか?
お茶を入れようという考えが、頭に浮かびます。

その瞬間、貴方はそれを信じますか?
ほとんどの人は、自分の考えを疑わないということを知っていましたか?

でも、何故、心に浮かんだ考えを全て信じなければならないのでしょうか。
貴方に、質問したいと思います。

朝、最初に目が覚めた時、貴方は何を考えますか?
何か、考えやイメージを持っていますか?
もしそうなら、それらは何ですか?

貴方は、自分の考えやイメージが現実のものだと思いますか?
貴方は、自分の考えやイメージは永久的なものだと思いますか?
貴方は、自分の思考やイメージが刻々と変化しても、それを信じていますか?

思考やイメージは、どのようにして生まれるのだろうか?
それらはどのように貴方の意識から発生し、招かれざる客として消えていくのでしょうか?

この練習を始めたばかりのころは、自分の心を観察することが難しいことに気づくでしょう。
自分の心が、考えることを全て信じてしまう傾向があるでしょう。
このようなことが起こるのは、私達が自分の心が考えることを全て信じるように条件づけされているからです。

自分の心の観察者になることは、新しい考え方で、最初はぎこちなく、不快に感じるかも知れません。
しかし、時間と忍耐と練習を重ねれば、自分の思考を公平に観察することの利点がわかり始めるでしょう。

このシンプルなエクササイズは、自分の心の中身に大きな力を与えるのを止(や)める方法を教えてくれます。
この方法を学べば学ぶほど、貴方は自分の心の内容に対して、より大きな力を得ることができるようになります。

貴方の心の勢いが鈍り、やがて落ち着くと、私が「貴方の本性」と呼ぶものを垣間見ることができるようになります。
それは、貴方が作り上げた条件つきの自己イメージではなく、その下にあるより深い意識の層です。

判断や意見のない……思考の高速列車からチューニング、貴方の頭の中の声との識別を断つと、純粋な意識として自分自身を経験し始めるでしょう。
これは、貴方の本当の自由があるところです。

瞑想は、心を静め、神に心を開く為の最良の方法です。
瞑想が何であるかについては、多くの意見があります。

スピリチュアルな伝統の中には、瞑想は自分を世界から切り離すものだと批判するものがあります。
しかし、これは真実ではありません : 貴方が瞑想する時、貴方は、貴方にとって重要な何かに集中する為に、貴方の心を訓練している以外の何もしていません。
何故なら、このように何かに集中することで、私達の頭を満たしている全ての思考や雑念の背後にある、誰で何があるのかを発見することができるのです。

他の世界を遮断しながら自分自身に同調することは、悪いことではありません……それは、現在に存在し、目を覚ます為の不可欠な要素です。
私達の多くは自分が感じたり、考えたり、経験したこと全てに反応しながら人生を歩んでいるという単純な事実があります。

私達は、自分の思考、感情、感覚の奴隷なのです。
このような状態では、自分の人生をコントロールすることはできません。

私達は周りの世界に反応し、その結果、自分自身と他人の為に多くの問題を作成します。
自分の思考から距離を置かずに変わろうとするのは、水漏れした船から別の水漏れしたバケツで水を掬(すく)い上げようとするようなものです。

若い頃、貴方は恐らく思考は心の表現であると教えられたでしょう。
しかし、実際にはそうではなく、この区別は理解する上で非常に重要なものです。

思考を心の表現として扱うと、その背後に「貴方」が居ると考えるようになり、その結果、思考を制御する必要性を感じるようになります。
そして、思考が単なる感覚、感情、思考のパレードに過ぎないことを忘れてしまうのです。

自分の心の中を通り過ぎるものを、コントロールすることはできません。
ある瞬間に何かが頭を過(よ)ぎるかどうかは、貴方次第ではありません。

思考は、一見、どこからともなく飛び出してくるのです。
それなのに、ほとんどの人は、それらの責任は自分にあると信じています。
自分の思考プロセスを、ある程度コントロールできると思い込む罠に嵌(はま)り易いのです。

「しかし、このような発言は、自分の思考をコントロールすることができないという、誤った認識を示しています。
しかし、このような発言は、心の性質と思考との関係についての誤った仮定を反映しており、不必要な苦しみを引き起こす可能性があります。

この練習では、思考を良くも悪くもない中立的な現象として捉え、その内容から自分を遠ざけ、ある思考を持つ自分を裁かないようにすることが有効です。
自分の思考を観察する方法をマスターすると、自分が本当は何者なのか、本当の自分とは何なのかを知ることができるようになります。

その気づきの結果、貴方の人生全体が変容します。
そして、奇跡が起こり始めるのです。

まさにその瞬間、五次元は貴方を迎える準備が整うのです。

私達は、貴方を心から愛しています。
私達は、貴方と一緒にここに居ます。
私達は、貴方の光の家族です。

エイ・ホー (A’ HO)

オーロラ・レイ銀河連邦大使



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